ビバアメリカ!(6)

わが友JEAN


 

私とJEANがお互いにママになり、話題はもっぱら子育てのことばかりになった頃、私達はよくお互いの家を行き来していた。でも私が彼女の家に行くほうが圧倒的に多かった。というのも出産を手伝いに来ていたJEANの両親がしばらくいることになり、おいしいご飯にありつけたからだ。

 もっぱら父親が料理するのだが、豚の丸焼きから餃子から、これが心底おいしい。
驚いたのは中国の新年にあたる頃、餃子を作るからおいで!との電話にいそいそとJEANの家に行ったときのことだった。餃子の皮となるらしい握りこぶし大のだんごを食卓テーブルにぶつけているではないか。JEANと父親で交互に

『ビタン、ビタン』
とその物体をテーブルにぶちつけているではないか。こうすることによって中の空気がぬけておいしくなりそうだということだが、あまりの音に私の娘がビクンとして泣き出した程だ。さらにその塊は長い棒で平らに伸ばされ、次にロール上にされた。その細く長いひも状と化したものが今度は小さくちぎられ、さらに棒で伸ばされ、あっという間に餃子の皮が出来上がっていった。その工程の横で母親はもくもくと具をつめ始めだした。
日本の焼き餃子より小ぶりのものがうず高く出来上がっていく。

『一体何個作るの?』

『だいたい300個かな。私とパパが100個ずつ、あとの100個は、ケン(だんな)とママとYOUでね』
とこともなげに言ってのけた。100を3で割ったって30個強あるじゃないか‥

『あんた、そんなに食べれんの?』

『いつも大体ね。たくさん食べないといい乳でないからね』
と言いつつ、ケンに言わせると出産前からこの数は変わってないらしいが。
調理後の餃子は日本でいうところの水餃子だった。酢をつけたり、しょうが醤油をつけたりしながらたちまちその300個の餃子は我々の胃袋に収まっていったのだった。さすがにJEANの食いっぷりはすごかった。茶碗にまだ残っているにもかかわらず、真ん中に置かれた鍋に手を伸ばす有様。

や〜でもあれほんとおいしかった。

仕事ばかりで出張の多かった私の夫の留守中は決まったようにこの家を訪れ、食卓を共にした。『Dad、今日の夕食は、麻婆豆腐がいいな』、とかメニューのリクエストさえしたりしていた。

私が風邪をひいて寝込んだ時にはママが泊まりこみで看病してくれた。手先の器用な彼女は、たった3泊のお泊りの間に毛糸でベッドカバーや、娘のケープなどを作ってしまうのだった。本当彼女には感謝の気持ちでいっぱい。言葉は通じなくても温かさって伝わるものなのだ。その頃私はまるでこの家の家族の一員のようだった。親族の集まりにも招待され、ケンの親戚とも皆顔見知りとなっていった。お正月には赤い袋のお年玉をいただき、娘の始めての毛髪も細い筆になった。 

米国の大抵の家は庭が広い。コミュニティー単位で通りに面した庭は、きれいにしましょうというような運動があるものです。
そんなコミュニティーにあってJEANの家はどこか異彩をはなっていました。
彼女がそこに住みだして最初に庭に手を入れたのは、造花のポインセtチアの花を何列もびっしりと植えたことだった。

『きれいでしょ。枯れないし経済的』
というのが彼女は言うものの
『育てる楽しみがないじゃない。それにこれはクリスマスシーズンの花でしょ』
とは言ってみてもなんの助言にもならなかったようだ。

この時点では、何事もなく平穏だったもののしばらくして彼女の電話で事の起こりを知った私はしばし絶句した。

『コミュニティーのリーダーが庭を何とかしてください』
というのだそうだ。

『私は別にいいと思うのだけど』
と彼女の言葉を胸におきながら見に行くと、ポインセチアの変わりに植えられた青々とよく育った何列ものネギの集団がそこにはあった。

『もったいないからパパが植えたんだけど‥』

裏庭にきゅうりやら、にんじんがあったのは知っていたが、とおりに面したところにも侵略していたとは。
アメリカ人は、結構家を変える人が多く、家の売り買いもよくあることだ。不動産屋に連れられて家を見に来る人々が近所にネギを栽培していると売りたい自分の家の資産価値も下がるというのが本来の意味らしいのです。
皆さんもこのようなこと知っておくとよいと思います。




以下次号です。

 

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