ビバアメリカ!(5)

わが友JEAN・2



私はロス郊外のTorranceという町の病院で出産をした。

アメリカでの出産について少しお話をしましょう。

………

母子手帳なるものはない。
月ごとの検診はDoctors Officeで、出産はHospitalで行うのが通例だ。

出産の兆候のあった私は、病院のEmergency…入り口から入った。

当直の医師の指示に従い、病室でその時を待った。
…だんだんと苦痛の度合いが増して

『もうだめだ、助けて!』

と思い始めたころ白衣もまとわぬ担当医師が現れた。
"Hi How are you?"と涼しげに、すごい格好の私に握手を求める医師には、正直むっと来たのものだ。

高齢出産だった私は、この出産の前にも羊水検査なるもので痛い思いをした。
その結果を聞いた時のこと。

夫と神妙なおももちで医師の説明を受けていた。

ま、異常がないというのは判りホットしていた私達に

「男か、女かを知りたい?」
とたずねてきた。

事前に知りたかった私達は、声をそろえて「はい」と答えた。

その答えがなんともふるっちゃうものだった。
 

「クロメゾン タイプ XX」

???????


とのたまわったのだ。
染色体XX?そうか女か。と理解するまでの間が少し・・・・

はじめからGirlと言ってくれたらわかりやすかったのに!



アメリカでは、出産してから1日以内に医師が出産証明書を作成してくれるので

子供の名前が必要なのです。

----だから前もって知りたいとおもっていたんです。
それでも予定日より、2週間早まった私達のケースは、殆ど考えがまとまらないままでしたけど・・・。


陣痛がひどくなり、初めて分娩室に移動させられた。
分娩室は、3つほどあって同時進行で他の妊婦さんも頑張っていたようだが、
かいま聞こえるその絶叫たるや、痛いのをしばしわすれてしまうような叫び声だった。

"KILL ME"

を連発していた。
正確には、オー、オアー、Oh−KILL ME、NOW!みたいな。

チラッと見たところでは大柄な白人女性だった。
日本人の場合、いくら痛くてもア行の叫び、か、(痛い)とかいう類の声しか出さないでしょう?

 私にもその時がやってきてやっと生まれた。泣いてた。

その赤ん坊のへその緒も切らないうちに私の胸にドサッとのせたのだ。

もちろん血まみれ。

…こんなのありなのかよと思いながらも疲れと、安堵で13時間もの戦いの終焉を
結構冷静に感じ取っている自分がいた。


病室に移り、少しの休息後、友人や夫の同僚達がやって来た。
その中でもおかしいのはやはりJEANだった。

彼女は私の妹だと嘘をついて、赤ん坊の体をきれいにしたり、
検査をしている様子を病室に入り込み、全てを撮影していたのだった。
「やった、成功だ!成功だ」と嬉しそうに病室に入ってきてはビデオをまわしつづけていた。


翌日には、もう退院。

…3日後にナースの訪問看護は、あるものの
あっという間の滞在でちいさな赤ん坊を抱いて退院したのだった。

それも、車に乗るにはチャイルドシートに載せなくてはいけない決まりで。
なんともかわいそうな気がしたものだ。
 

JEANの母親が、ジンジャーチキンスープというのを毎回作ってくれた。
中国では出産には欠かせないものらしい。

私の親族もいたのだが、おかまいなし。
ジンジャースープをのまされ続け、あっという間に1週間、2週間と過ぎていった。

このときJEANは既に妊娠8ヶ月。私より3ヶ月遅れで母親となったのだが…

私は恥ずかしくて病室に入り込み、撮影などしてあげられなかった。
でも彼女は、すごいレコードをぶちあげた。
アジア人としては最大の5700gの男の子を産み落としたのだ。

Hospital Recordは、
6800gらしい。ちなみに私のは3100gでした。はい。




以下次号です。

 

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