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久し振りの雪。純白の雪景色は宵闇が迫っても暗くならない。 ほの暗い雰囲気は、また別世界で気分がよい。ところが最近はクリスマスの電飾を家々が取り入れるようになり、街中が明るくなってしまったので感動がなくなってしまった。というよりチカチカして騒がしくなった。 都会に行けば24時間街中に人の流れが途切れることもなくしかも、夜の街の方が、昼間よりむしろ明くなってしまった。当然のように、現代人は「ヒカリ」の有難味を忘れてしまったようだ。 少し想像してみよう。原始人は「ヒカリ」をどのように感じていたのだろう。 山中でキャンプをしたことがある人ならば体験しているだろうが懐中電灯やランタンでも消そうものなら夜は本当の意味で漆黒の闇10cm先の物さえ見えない。 そして夜行性の動物がうごめくのだろうか、突然聴こえてくる「ミシッ ミシッ」「ぞろ!ぞろ!・・・ぞろ」「ガサ!ガサ!」「ドスン」そして、突然「ケケケケ・・・」というけたたましい鳥の啼き声など。「ギョッ」としたり、「ゾー」としたり。その時 、初めて静寂という言味を知る。 原始人はどうしていたのだろう。電気も蛍光灯もない。ましてやラジオやテレビもない。 太陽が没すると同時に寝て、朝の光とともに起きるしか方法がない。 例えば原始人の場合、病気になり日増しに悪くなっていくとしたら、夜がどれ程こわいものか。 又、病人を抱えた家族の心配ははかり知れない。明るくなったら死ぬ前にあれを食べさせてやろう、どうしたらいいか長老に聴いてみようとあれこれ考えても夜は何もしてやれない。夜の内に息をひきとってしまうのではないか、と、不安が拡大していくのであろう。 たき火をして、その恐怖心を少しでもなくそうとするが、ゆれる火影がかえって不安を増長する。 人の死ぬのは特に夜が多い。だからその不安が悪霊やオバケ、魑魅魍魎といわれる恐怖心に変わり、そして、それを救うためにも、たくさんの宗教が生れて来たのだろう。 漆黒の闇の中に晴れた日は降るような星が満天に見えたのかも知れない。(今の東京では北斗七星と金星ぐらいしか見えない。)そして皓々と照らす月に至っては希望≠竍あこがれ≠フ象徴になる意味が判る。 仏教の中でも密教では「護摩」を焚いて念じる修業がある。 あれは悪霊を火であぶり追いやるという意味があるという。「ドンド焼き」などの行事も一年間の悪霊や病気を追い払うものと聴いたことがある。 暗闇の中の怖さと不安を忘れるために人間は「酒」を作り出したのかも知れない。 そして日頃のいやなことを忘れ、ぐっすり眠るために「酒」を飲むことを覚えたに違いない。 そして朝めざめると、太陽があふれんばかりのあたたかさと光を与えてくれる。この喜びは夜行性の現代人には判らなくなってしまったかも知れない。 人間は動物である。そして自然の中にあってこそほんとうの幸せを感じることができるのではないだろうか。自分達の力で作って来たガスや電気を使った文明の光≠ヘ便利にはしてくれたけれども、本当の 光の意味や喜びを忘れさせてしまったような気がする。そのイライラが他人を認めない現代の風潮を生んでしまったような気がしてならない。 みなさん!薪ストーブでもいい、あるいは夜は早目に電気を切って、星空をながめて見て下さい。 火や光の美しさを確かめて下さい。 他人へのやさしさやおもいやりが戻って来るかも知れません。 |